ピアニストとして、教育者として、日本のピアノ界に多大な足跡を遺した安川加壽子さん。その功績を伝えるために結成された「安川加壽子記念会」の第16回が、4月25~26日に東京・恵比寿の日仏会館で行われました。1996年に安川さんが急逝してから30周年となる今回の「記念会」は「貴重な資料とお話で巡る 安川加壽子の演奏と想い出」と題し、レコードコンサートと対談というプログラム。「安川加壽子記念資料室」が所蔵する資料も出展されました。

ピアニストとして教育者として広範に活躍
1922年に神戸で生まれた安川さん。翌年、外交官だった父親の赴任先であるパリに移住。3歳半のときに『メトードローズ』を使ってピアノを習い始めます。その後、10歳でパリ国立高等音楽院に入学し、数々の名ピアニストを育てたラザール・レヴィ氏に師事。15歳で同音楽院を卒業した後、ヨーロッパ各地で演奏活動を行います。
第二次世界大戦勃発のため1939年に帰国。1941年のリサイタル以降、1983年にリウマチのため引退するまで、ソロのみならずオーケストラとの協演、室内楽など、広範な分野で活発な演奏活動を展開しました。
教育者としては、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)、桐朋学園大学、大阪音楽大学での長年にわたる指導により、門下から多くの国際的ピアニストを輩出。楽譜の編纂も精力的に手がけました。子ども時代に習った『メトードローズ ピアノの1年生』をはじめ、『ピアノのテクニック』『ピアノのABC』『ピアノのラジリテー』など、初級者向けのピアノ楽譜を次々と翻訳。日本のピアノ教育界に新風を吹き込みます。また、ピアノ学習に必要なレパートリーを集めた『ピアノ小曲集(全3巻)』、「安川版」として親しまれる『ドビュッシー ピアノ曲集(全9巻)』などを編纂。他にも『モシュコフスキ 15の練習曲』『フォーレ ピアノ名曲集』などを通して、様々な楽曲の紹介に尽力しました。
生誕100年の2022年には、そうした安川さんのインタビュー記事や執筆記事を集めた書籍『蘇る、安川加壽子の「ことば」』が刊行されました。
若い時代の香しくエモーショナルな演奏
今回のレコードコンサートの音源は、サクラフォンレーベルが3枚組のCDで復刻した「歿後30年記念『安川加壽子の芸術』 1942-1957 SPレコード録音集」。安川さんに師事したピアニスト・文筆家の青柳いづみこさんが解説を担当しました。
日本人作曲家を積極的に紹介していたという安川さんが1942年に録音した宅孝二《人形のボレロ》に始まり、若い時代の録音が次々と紹介されていきます。「ベルエポックのパリで学んだ方ならではの香しい演奏」「エモーショナルな演奏」などとその魅力を語る青柳さん。イベール《小さな白いロバ》では、安川さんがフランスで習得した手首(ポワニエ)や肘(クード)を使ったスタッカートが駆使され、指先だけのスタッカートよりも間や空気感を持った響きが生まれるといった演奏効果を解説。連弾曲を独奏版で演奏したラヴェル《マ・メール・ロワ》の〈美女と野獣の対話〉やフォーレ《ドリー》の〈子守歌〉では、「10度が届く大きな手で、長い親指がよく動く」と、手の特徴が明かされました。演奏会のアンコールでよく弾かれていたというショパン《練習曲》作品25-2では「左右の手が独立して別々に動き、複数の声部が見事に弾き分けられています」(青柳)。この「左右の独立」は、門下生のレッスンでも追求されたことでした。

日本の音楽界に新しいものを次々と紹介
後半は、やはり安川さんに師事した二人のピアニストが登場。井上二葉さんと高野耀子さんが、青柳さんの司会で対談を行いました。
シドニーに生まれ、幼少期をヨーロッパで過ごした井上さんは、第二次世界大戦のため帰国し、東京音楽学校に入学後、安川さんに師事。「楽譜に忠実に」という厳しいレッスンで、テクニックについても丁寧な指導を受けたといいます。ショパンの《練習曲》作品10-1のレッスンでは、はじめのうちは右手だけをひたすらさらい、うまくできてから左手だけでバス進行の出し方をじっくりと指導するという徹底ぶりだったと振り返ります。
パリに生まれ育った高野さんは、1938年、現地でオーケストラと協演する安川さんの演奏を聴いたそうです。その後、やはり戦争のために帰国し、東京音楽学校に入学する前、1940年から安川さんの教えを受けました。パリ時代のレッスンは「とても優しい」という印象で、「どうしたら指がそんなに動くようになりますか?」と質問したら「自然にそうなる」という答えが返ってきたという驚きのエピソードも飛び出しました。
「どんな曲でも指の動きは完璧でしたね。それでいて、どんなに速くてもバスはしっかり機能している演奏でした」(井上)
17歳で帰国して、ほどなく演奏活動を開始させた安川さん。「普通ならさらに先生について学んでいく年代なのに、独立して第一線で活躍するというのはすごいこと。もし戦争が起こらずにドイツやウィーンにも留学していたら、どんなピアニストになっていたでしょう」と想いを馳せる高野さん。「録音よりも、生の演奏を聴いた記憶を大切にしたい」と語ります。一方、安川さんが病気のため早期に引退せざるを得なかったことについて「もっと演奏活動を続けられていたらどんな演奏家になっていたか……」と惜しむ井上さん。青柳さんも「本当に口惜しい」と応じます。
演奏においても教育においても、当時の日本の音楽界に新しいものを次々に紹介した安川さん。その功績を口々に称えての閉会となりました。

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